ー 竹細工 ー 岡悠先生
ノア:本日持ってきていただいたこちらの作品をご紹介いただけますか?
岡先生:鍋敷きと四海波かごです。この鍋敷きには竹細工の基本が詰まっています。
臭いですけど、この世界や宇宙の全てがここに詰まっていると思っています。
生まれてから死ぬまでの全て、物事の仕組みだったり考え方だったり…特にこの鍋敷きにはそれを感じます。
ノア:職人さんや何か一つのものを極めている方々って、やっていることは違っても
何かその中に感じるものがあって、それをずっと探求されているのかなと感じるのですが…
岡先生:何度も同じものを作っているんですけど、次を目指していけるというか…完成がないというか…
物自体は完成しているんですよ、でも技術的には終わりがないんです。
納得したものができる時っていうのは、死ぬ時なんじゃないかなと思います。
ノア:竹細工の魅力を教えてください。
岡先生:何もないところから竹を割ってそれが材料になってモノが出来上がるというところに、魅力を感じます。
一から、全て自分の責任でやりたいなと思うところがあって、
その部分が竹細工とぴったりあっているなと思います。
また、作業工程が多くて飽きないところも魅力です。何よりも竹が好きですね。
『竹割り三年』という言葉があるのですが、それはただ竹を割るんじゃなくて
思った材料をロスなく作れるようになるのが『竹を割る』ということなんです。
竹編みは何年だろう…?ほとんど一生ですね(笑)
竹細工は10年やらないとわからないとよく言われるのですが、それをひしひしと感じます。
ノア:モノ作りをはじめることになったきっかけは何ですか?
岡先生:最初は竹とは決まっていなくて、手を動かして何かモノを作りたいという気持ちがありました。
小学2年生の時、家に「おしゃれ工房」という雑誌があって、
そこに広告を丸めて細い棒状にして、竹ひごみたいに編んでゴミ箱を作る方法が載っていたんです。
それを見て「作ってみたい!」と思いました。結局は失敗に終わったんですけど(笑)
でも私の中では、何もないところから材料を作ってそれが一つの箱になったらすごいなと思ったんですね。
これが、ゼロからモノを作るということに感動を覚えたきっかっけです。
ノア:その後、どのようにして竹細工に出逢われたんですか?
岡先生:子供の頃は漫画家になりたかったり、建築士になりたかったり色々迷子していたんですが
母親が色々勧めてくれたのが大きかったのかなと思います。
私は出身が札幌なのですが、隣町は港町や職人の町として有名な小樽でした。
小樽ではガラス工芸などが有名ですが、そもそもは漁師さんのブイがはじまりなんです。
その小樽に職人学校ができるというのを、高校に入ったくらいのタイミングで母から聞きました。
林業などにも興味があったので大学に行きたいなとも思ったのですが、家にお金もなかったし
国公立を目指したとしても、落ちた時のことを考えると博打は打てなかったんですね。
それで、その職人学校に興味を持って話を聞きに行きました。
学校説明の中で「竹細工」という項目を目にして、ちょっとやってみたいなと思いました。
でも詳しく話を聞くと、小樽では竹細工もやっているけど学生としては募集はしていないと言われて…
一応小樽の職人さんも紹介してはもらったんです。頼み込めば弟子にしてもらえるかもしれないよと言われて。
ただ、18歳の私には「なにか違う…」という感覚があって、せっかくのお話だったのですがお断りさせて頂きました。
フリーターとして、少し遊びたいという気持ちもあったと思います。
友人たちはみんな大学に行って、青春を謳歌していて…そんな雰囲気にも憧れはありました。
それで、結局進学はせずにバイトをしながらしばらく実家生活を送りました。
でも、その時には自分の中で「竹細工をやりたい」というのはもう決まってはいました。
何もないところから竹を割って材料を作って、モノが出来上がるというところに魅力を感じたんですね。
小学2年生の時にゼロからモノを作りたいと感じた出来事とリンクしたんだと思います。
20歳になる前に、そろそろ進路を考えないといけないとなって
母親がテレビで「鹿児島の竹島でおばあちゃんが竹細工をしている」という情報を見つけてくれて
それで鹿児島に、そのおばあちゃんに会いに行ったんです。
ノア:すごい行動力ですね!
岡先生:そうなんです、行動力だけはあって。
その時、私はもう移住する気満々だったんです。自給自足みたいに竹を割ってカゴを編んで生活をしたいと思って行きました。
初めて北海道から鹿児島まで右も左もわからない状態で行って…言葉も全然通じる気がしないし気候風土も全然違って
それにもうとにかくびっくりして…帰ろうと思いました(笑)
本当に全てが違って、外国みたいに感じてしまったんです。
小樽から舞鶴に行って、舞鶴から電車にのって、南港からフェリーに乗って宮崎に行ってそこから鹿児島へ…
またその逆のルートを辿って一人で帰りました。
帰った頃には「どうしよう」という焦りが強くなってきていて、隣町の市立図書館に行きました。
そこに『淡交』という京都の雑誌があって、その裏に京都伝統工芸専門学校の広告が載っていました。
それで「ここに行こう!」と決めました。
日本一周して、やっとたどり着いたというか…この時も決断は早かったです。
ノア:ご自身の工房を構えられるまでどんな道を歩まれたんですか?
岡先生:京都伝統工芸専門学校で2年間竹細工について学びました。
当時はいわゆる『職人ブーム』で、脱サラした社会人の方なんかも同級生に多かったのですが
、卒業後、竹細工を進路に選んだという話は聞かないですね。
そういえば、竹屋の息子もいたので、竹に携わっているかもしれないですね。ほとんどは、地元に帰ったようです。
専門学校卒業後は石田竹美斎氏の元に5年間師事し、竹工芸の技術を学びました。
その後結婚や子育てなどを経て、2014年に「ユウノ竹工房」として竹の魅力を伝える活動を始めました。
ノア:ご家族もいらっしゃる中で、制作時間はどのように確保されているんですか?
岡先生:家で作り始めてから約10年になるんですけど
朝早く起きてやったり夜やったり色々試してみましたが、もう夜には制作していません。
結局子供がいると、夜はいいものが作れないんですよ。夜の1時間は昼間の10分くらいの感覚です。
夜1~2時間頑張っても、昼間の10分~15分には作業効率の面で全然追いつかないんですよね。
今では朝早ければ8時くらいから夕方の6時ごろまで、家事の合間にずっと作っています。
ノア:最後に、日々の生活をちょっとだけ豊かにするコツや習慣があれば教えてください。
岡先生:何でしょう…息抜きですかね。
息抜きをするということがそもそも難しいんですけど、やっていかないと体調を崩します。
料理するのが大好きで、今は料理をすることが息抜きになっていると思います。
体を動かしたり、山登りをしたいですね。体力あってこそ人生を楽しめると感じます。
ノア:素敵なお話を、ありがとうございました。
Interviewer:
ノア
テラコ屋のインタビュー係。ネコと甘いものに目がないアラサー女子。
いつか澤井家住宅でクリスタルボウルと一緒に歌うのが夢。
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